サンニャーシン

2012-04-27

インド哲学における人生の目的は、4つあります。

 @ダルマ(法や秩序を守ること → 混乱を引き起こさないため → 宇宙の秩序に沿うこと)

 Aカーマ(愛を知る事 → 広義の意味での愛です)

 Bアルタ(財を得る事 → お金のこととは限らず、心の宝や人に恵まれる事も財のうち)

 Cモークシャ(解脱する事。悟る事。 → 人間卒業)

特にこれらを支持する人たちは、バラモンと呼ばれるトップの階級の人たちですが、この人たちはヴェーダや哲学等の学びを多くしていきます。(バラモンは昔僧侶階級で人を導く立場だったため)

今日では、非常に多忙な企業のエリートなども含まれていますが、学び感じ取るほど現実とのギャップが見えてきます。

そこで、彼らは充分社会で働き、一定の年齢になったら自分がいなくても家族が困らないように手立てをしたあと、出家という方法をとって山奥でくらし瞑想三昧の生活を追求します。

彼らの事をサンニャーシンと言いますが、インド哲学を深く学ぶほど神との直接のコンタクトを臨み、それに近づく為の方法をグルなどに師事してモークシャの域を目指すわけです。 

確かに、現実社会は混沌としており玉石混合ですから、いくら頻繁に瞑想していても心が乱されることも多々あります。

また、神の道を目指しても、現実に翻弄されていると見失ってしまう感覚もあるでしょう。

だからこそ、この道は一人になって徹底的に自己と向き合う時間でもあるわけです。

同時に、山の中で一人ですごすわけですから自然や動物、そして恐れや孤独感など克服すべき問題がたくさんあるでしょう。

そんな中で冴え渡り、揺らがない信念がわきあがってくると、モークシャに近づいていきます。

解脱する事は、もう二度と人間としてこの地球に生まれないことを意味するので、遣り残した事や後悔する事があっては達成できません。

そう考えると、まさに今私達はこの分岐点にいるようです。

 

また、バラモンの中には高齢者になると 「山にこもる」 という習慣が有るといいます。体は衰えても魂の成長は続く為、最後は自然の中で悟りを得る・・。 これはすごい事だと思いました。

でも最近は現実として捉えると、もしかして姥捨山のように静かに人生のフェイドアウトをするために山にはいくのかもしれない、と思うようになりました。どう考えても、インドの山なら猛獣が一杯です。高齢者になって猛獣と戦う力はないでしょうし、体温調節も大変でしょう。

そんな極限のなかにいることで、ものすごい集中力と緊張感の中、生命の凝縮を感じることはあるでしょう。そのときに、全てを悟る事は有ると思います。

私達は今、太陽系の大変化の中それを感じている人と、全く感じない(または無視)している人とに別れ、右と左のV字路を歩き始めています。たどり着く先は、全く違う交わりの無い世界。

いずれにせよ、ターニングポイントになっていることは確かです。

 

ハナミズキ by 一青窈 5月にぴったりな歌。9.11のことを考えて作られたそうです。

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