聖高原のあと

2011-07-16

20歳のとき、大人になった体験として「一人旅」を決行しました。場所は、地図をざっと見ただけで(あの頃PCやインターネットはなく、直観力が勝負の時代)、名前が気に入って、長野県の聖(ひじり)高原に決めた。安曇野にも近く、ワクワクする旅。

梓(何号か忘れたが)にのり、各駅停車に乗り換え、バスに乗り(なんと乗客が私一人!)やっとたどり着いた場所は観光地ではなく宿が一見あるだけの高原の中。・・なんか地味な場所だなあ、まいいか。 当時は、女一人旅なんて自殺しに来たと思われるのが常で、予約を取るだけで断られるくらいだったので思い切りテンションをあげて、チェックイン。

荷物を置いて「散歩してきまーす!」と散策に出かけると、丘の上に看板が・・「ここは昔、姥捨て山と呼ばれ・・」 なに? ウバステヤマ? 周りに老婆の白骨体がぐるりと在る妄想が!ひーっとすっとんで宿に戻った思い出があります。 

 

それから20年後、介護を学び 「楢山節考」を視てレポートを書く宿題がでて、再びこの姥捨て山のことを思い出し、雪に閉ざされる地方において冬場食物がないということは、誰が生きるかという死活問題であり、食物を確保することが生存の条件になることを痛感しました。

その当時から、やはり女性のほうが長生きするようで、爺捨て山はないのです。

 

その続きのような映画が「デンデラ」。捨てられた老婆達が死に切れず、自分達の村を作って自活し生き延びる。長老は、捨てられた恨みを晴らすために復讐に出ようとするが、自然の猛威(クマ)には勝てず、結局心休まることなくあの世へいく・・、というストーリー。

ただこの映画で描いていたのは、女性が抑圧されながら生きてきた中で、捨てられたことで自分の本来の強さやエネルギ-を自覚し、そのイノチをかけて生き抜くという「生き直し」でした。それは年齢を重ねてもほとばしるようなイノチの強さ。死ぬ前に、決して逃げずひるまず果敢に行動する老婆たちのたくましさは、現代の70代以上の女性達の元気さを見れば納得できます。

 

経済発展は、雪に閉ざされる地方でも「暖」を与え、食物を供給し、子供も消されることなく、70歳になっても捨てられず(むしろ年金がもらえるので堂々としていられる)、寿命はどんどんのびて絵に描いたような幸せな日々になりました・・? 

昔は、おそらく(想像だけれども)子供や母親を消した分、誰かの犠牲の上に自分の命が成り立っていることを「心の重し」として感じながら暮らし、その分真剣に生きたのではないかと思いたい。

 

聖高原は、今は別荘地として近くにいろいろな観光施設もできてきれいなところになっています。

もちろん、ここがウバステヤマだったなんて、もう誰も知らない。でも日本の山々には、少なからずそういう場所がたくさんあったことは事実。長野県は、女工さんたちの悲劇の「野麦峠」というのもありましたね。

そういえば私の一人旅は、その宿であとから女性が2名チェックインし、宿主の計らいで一緒に食事をし、トランプをし、盛り上がり、翌日は安曇野に向かう電車の中で隣に座ったおじさんに話しかけられ、なんとそのおじさんが新小岩(地元)の人でビックリし、「占い」をしてもらいながら盛り上がり、安曇野では自転車をかりてサイクリングはいいけれど、ルートを逆に走行したため上り坂ばかりでへとへとになり、ホテルでケーキを4つ食べた記憶があります。思えば、一番最初に「何かに守られている」感、でした。

そこでの教訓 : 私はどこへ行っても生きて行ける! でもウバステヤマでは死なないぞ!

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