隠し剣 鬼の爪

2011-06-29

今日、友人と「剣と刀」の話しが出て、何で神様や天使は万能なのに剣を持っているんだろうと疑問に思い調べた話をした。

以前、「江の展示会」で、信長のなぎなたの刀先をみたことがあり、その迫力と美しさに釘付けになったことがある。鈍い色を放ちつつ繊細に景観が彫られており、これはもう武器ではなく芸術じゃないか、と思いつつ どれだけの血を吸いこんだだろう、とその色に感じいった。(信長のセンスにも感動したけれど) 

刀は、単に鉄だけでなくいろいろなものが溶かされているが、隕石もあるといわれ、「やっぱり!」と納得した。シヴァ神の三叉剣、ミカエルの剣、スサノヲの草薙の剣、これらは武器というより神の象徴でもある。

 

戦士について

決断することは、愛することだ。剣をふるう前に自分が剣を持つことを決断しなくてはならない。

あなたは剣を持つことを決断した。

剣を持たなければ戦士とはいえないからね。

戦士は剣を持つことで総ての状況を明らかに見ることが出来る。

なぜ、戦士は剣を持つことで総てを明らかに見ることが出来るようになるかを説明しておこう。

剣を持つと、その剣の長さの分だけ対象を自分から離して見ることが可能になるからだ。

剣をふるおうと思う時、最低でもその剣の長さの分だけ対象から離れないとふるえない。

そしてその対象を切るか切らないかを決めるために、戦士はその切っ先を対象の鼻先、或いは喉元に突きつけるだろう。

この対象を抱き込まない冷静さと、切っ先を突きつけるほどの真剣こそが、戦士の目に総てのものを明らかに見せるのだ。

戦士になるには、人並み以上の「愛情」の深さが必要であり、またそれ故に戦士は情が深く未練の虜にもなり易いのだ。

本当の愛と、所有欲や独占欲の結果としての未練とにハッキリと一線を画す為にも、剣は戦士に不可欠なものだ。

常に自分の剣に磨きを賭けて、曇りのない人生を歩いて欲しい。

                     ARION O∴O   (ARION語録より)

 

アリオンがなぜ、私達を「光の戦士」と呼ぶのかが理解できた気がする。本物の剣はなくとも、真剣という剣を携えて日々行動することであり、それが時には武器にも凶器にもなってしまうことを知ることの大切さをふまえて、魂を磨く ということ・・。

イノチを一瞬で奪える刀や剣をどう使うか、時代が平穏になるほど「心の修行」がまさってくる。まさに「道」。侍は、決して卑怯な手を使わず正々堂々の一騎打ちを好んだ。それが美徳だった。 そして仇討ちであったとしても、死者に手を合わせ弔いの言葉をかけたという。

 

「隠し剣 鬼の爪」は、時代が変わる寸前のまだ麗しい魂の状況が描かれ、いつ見ても大泣きしてしまう。(特に、松たか子さんの演技が素晴らしくて・・)  

主人公が秘伝の剣を正義のためにふるい、その剣を親友の墓に埋めて侍をきっぱり捨てるラストシーンは、「人としての誇り」の持ち方。剣をおき、士でなくなっても、光の戦士であることには変わりない。心のエッセンスとして、観てみてください。(時代は変われど、よきものはよい)  

 

光の戦士だったニギハヤヒを祀る <石切剣箭神社> 神社の屋根に剣が突き立った珍しい神社です。→ 天とのエネルギーの送受信が行われる証拠 (伝導体でできている剣や刀は電気を通すアンテナの役割も持つ → だから隕石を混ぜたりするのも納得です)

この剣箭は、石をも切るくらいの力をもっているので、この名前がついている。

 

侍バンド 陰陽座  蒼き独眼 和風ロックとでもいいましょうか。でもアーティスティック!

この記事へのコメント
この記事へのコメントをご記入ください。
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

(ブログ管理者が承認したコメントのみ表示されます)
この記事へのトラックバックURL
http://www.blogdehp.net/tb/14032190
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
(当記事へのリンクを含まないトラックバックは受信されません。)