E.T & UFO

2011-05-13

少しずつ小出しにアキラカになる原発事情。いまさら白状されても・・・

5月8日に新宿でUFOがあらわれ、大騒ぎになった。

福島にも、3月に同じ型のUFOが現れていたという。

 http://www.youtube.com/embed/b6kEoYH043I

私はこれと同じ型のUFOを1991年に見ている。(東京 浅草橋) UFO は3回みたけれど、このときが一番クリアだった。

震災後のUFOは、100基にも及ぶほどでよっぽど心配になって見に来てくれているのだろうと感じる。

どうしてそう感じるのか? 私は無類の宇宙人好き。テレビもなかった幼稚園時代に、なぜかロケットとタコのような火星人ばかり描いていた私。どこで見たんだろう? これも記憶にない。

テレビは「ALWAYS 三丁目の夕日」を見た方ならわかるが、1960年代に一気に普及した。

その当時は、鉄腕アトムやエイトマン、やがてマグマ大使とか宇宙ものが多かったように思う。流星王子ピロンとか、宇宙家族ジェットソンとかやたら記憶に残っている。

一番印象に残っているのは、「アウターリミッツ」(のちにトワイライト・ゾーンになった)というアメリカの番組。そこに人型の宇宙人がやたらでてきて、釘付けになった。その頃からファーブル昆虫記とならんで、「世にも不思議な物語」を猛烈に読んだ。

10歳で渋谷にある五島プラネタリウムの会員になり、星座を覚え、星や宇宙に思いを馳せた。(星座は数えるくらいしか覚えていないが) 絶対に宇宙人はいる。 そして絶対に友達になる。

そうやって成長し、19歳のときにはじめて「未知との遭遇」を見て大泣きした。(普通はこれで泣かないでしょ)最後に出てくる宇宙人がものすごくリアルでいとおしくて、美しくて、会いたくて、私も宇宙に連れて行ってもらいたいと本気で思った。

 ET.JPG  もう20回以上見ているE.T

そして、E.T。 これまた泣ける。 E.T phone home 真似できる。

宇宙に生命体がいることは、確実。でもこんな形をしているかどうかはわからないが、ヒューマノイド型という人型の生命体はいるのだが、人間(地球人)はかなり完成度が高いらしい。

そして、スピリチュアルな感覚に目覚め始めた頃、そういう系統の人たちと縁し、ついにはアダムスキー研究会まで入ってしまった。(単純に江戸川区にあった、という便宜性もあったが) そこには、オーラが見える人や元祖サイキッカーの秋山真人氏なども所属していた。

そんなときにUFOを見た。 何か心が広がる感じがした。 やっぱり宇宙が好き。

そんな宇宙の一部の地球で、宇宙人の一つである地球人がつくる世の中は、E.Tや未知との遭遇の宇宙人のような愛に満ちていない。

だから、核爆弾や原発なんかを作るのだろうし、平気で使用するのだろう。

ある人が言った。原発の廃棄物は宇宙に捨てちゃえ・・・ 絶句。

傲慢な地球人。エゴにあふれる人間。魂の器として、せっかくこんなに素晴らしく作ってくれたのに。このボディを生かしもせずに、大事にもせずに、自分を愛しもせずに。だから他人も地球も愛せない・・。宇宙はゴミ箱じゃない。生命の在る場所。

イノチの意味も果たせない人間がどんどん哀しい存在になっていく・・。

★アーリオーンはボディをもたない、思念体の神霊です。

 光よりの光、最上の帯としての光より来たりて伝える

我が名はアーリオーン、愛と光の天使

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本当の旅を求めて

今再び、甦る為に…

アスファルトの道路が縦横に走る都会

デパートの屋上庭園をそのまま拡張した様な街並

道路の脇に植えられた街路樹に与えられた僅かな土


血の通わない鉄骨を重ねて、高く高く

空まで届け…と高く高く…

摩天楼の底で蠢く唯一の生命体、人間は

ギザギザに切り取られた空を見上げて、溜め息をつく


他人との触れ合いは地下鉄での押しくらまんじゅう

朝と夕方に繰り返される、駅に向かっての民族大移動

ビルとビルとに挟まれたスリット状の夕焼け

街を歩けば購買欲を煽る広告、電車に乗れば行楽広告

情報提供というカンナで神経を削り取られる

そんな毎日…


無機物、無生命体の都会生活の中で

それでも暖かいものを、触れ合いを求めて

人は何か気付きを捜す…

そして、そんな時に人は《旅に出たい…》と思う

削り取られた神経叢から滲む血を押さえながら

人は『自分自身』を取り戻す為に

自分の心の在りかを見出す為に

旅に出たいと願う…


人は『旅』に出ると自分自身を取り戻せるのだろうか?

本当に心の在りかを見出せるのだろうか?

一体、都会には何が起きているのだろうか?

都会に生活していると自分自身を見失うのだろうか?


生命体とは血の通うものということ

そして生命体は《生命の流れる境》に活きるもの

全ての生きとし生けるものは《生命の流れ》を司る

地球上だけでなく全宇宙の生命体は

《命を生きること、生きる力の流れを流れること》を目指している


アスファルトで固めコンクリートで囲われた場に

草木は生きることが出来ない、虫も鳴くことが出来ない

土も呼吸出来ない、そして人間も…

自分自身を見失う、心の在りかを見出せないのは

生きる力の流れに沿わない、囲われた場に生活しているから


だから、人は旅に出ようとする

生きる力の流れの残る場を求めて

遮断された生命の流れを甦らせる為に

人は土の生きている、鳥の噂く、血の通う触れ合いを求めて

…旅に出る


遮断され密閉された生命閉塞状況に居れば居るほどに

人は生きながら内部から鈍感になってゆく

まずカンナで削り取られ続けている神経系続から

そして神経叢の中枢であるところの『心』へ

段々と鈍感になってゆく

最終的には…

自分達の生命にとって何が大切であるか、

それさえも分からなくなる


人間の身体の中には、宇宙生命潮流の流れから

絶えず信号が送られている

生命維持に危険なものは排除する様に、信号が送られている

鈍感になってしまって、信号も感じなくなってしまう様な

そんな生活空間から自分自身を取り戻す為に

旅に出たいと願う人の身体の中で、何が起きているのか?

宇宙生命潮流から《生命を維持する様に…》との信号が送られ

キャッチされ、生きる力の流れを求める心が揺さぶられた

旅に出た人は閉塞状況から解放され、ホッとするだろう

身休の底から血液が巡るのを感じる

呼吸を始めた『心』が躍るのを感じるだろう

幼い頃の自分、生命力の流れに充分浸っていた自分

そう、子供は全て宇宙の生命の流れに素直に生きていた

何でもない普通の人々の生活の営みにも

自然に頼が弛むだろう

小川にメダカが泳いでいるのを見て、嬉しいと感じる

夕餉の味噌汁の香りにフッと郷愁を感じる

五感が開くのを感じるだろう?


生きる力の流れない場に生活していると

第六感はおろか、人間の五感も鈍くなる

見る、聞く、味わう、嗅ぐ、触ることの

鈍くなった人々…

鈍くなったが為に何も信じることの出来ない人々



生きる力の流れる場に居ると

それら五感の中で損傷の少ないものから

甦り始めるのを感じるだろう

まず五感の統括である“気持ち”が弾んでくる

血が通い始め、生命潮流からの信号もハッキリとしてくる


そして、都会を生活の場にしている人は

甦った自分自身を感じながら、再び都会へと帰ってゆく

旅に出る前の自分ではない『新しい自分』を連れて

そう、呼吸している血の通った身体を持った自分

それだからこそ、信号をしっかりと受け取れる自分になって…


生命の力の流れる場としての生活空間を…

生命維持の為に何がいけないか、何が必要か分る自分

五感が開いている状態で、何が都会に欠けているかを

ハッキリと見つめ、ハッキリと表現出来る自分になって


そう、旅から帰る人々が再び生命閉塞状態の中で

少しずつ鈍感になる前に、是非、考えて欲しい

自分達が何を旅に求め、旅先で何を得たか、どう感じたのかを


この死にゆく大地の都会の中で、

自分達の生命を維持させ、危険を排除してゆくには

それら旅先での五感の開いた状態での経験を

どういう風に活かかしてゆくべきなのかを



 本当のことしか無い、本当のものしか存在しないのが自然の定理

人間は《人》である為についてきた嘘を脱ぎ捨て、本当の自然と融合して

生命を活かすことを、旅に出ることで学び、

それぞれ自分達の生活空間に反映して貰いたい、

それが宇宙の全ての生命の願いだから…


11.Dec 1989

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