カミ・コメ・ツチ・ヒト 復興への足がかり

2011-0505

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カミとヒトの間には、コメとツチがある。

カミはコメとツチによってヒトを養い、

ヒトはツチに働き、コメを供することでカミと交わる

 

「カミコメツチヒト」 アーリオーン 北川恵子

扶桑社 1992年

東日本大震災による津波で、東北太平洋側の多くの田畑が塩害によりだめになり、農業で身を立てていた人たちの絶望的な気持ちが伝わってくる。

でもある意味TPPとかでまったくこの土地のイノチを知らない人たちのために供されるよりは、自らの人生の一つとして心に留めておくほうが、カミを護るためかもしれない。

 私たちアジアの民は、コメを主食にし、そのためにツチを耕し、カミに豊穣を願いマツリ(祀り)をささげ、生きてきた。欧米はコメではなく麦を主にしたパンである。かつての首相が、「貧乏人は麦を食え」と唱えたことがあるが、今は小麦の価格は高騰している中コメの需要は減る一方になっている。

今一度、この豊かだった土地に思いを馳せれば、私たちの本来在るべき姿が見えてくる。

「カミ」「コメ」「ツチ」「ヒト」とは何か?

まず「カミ」だが、これはいわゆる擬人化された「神」ではなく、森羅万象、大自然、宇宙の理(コトワリ)といった、ナリワイの元と考えて欲しい。

次に「コメ」だが、これは「カミ」が「ヒト」との間に置いた契約の証と考える。

それ自体は、稲の米と同じ音で「米」の意味もあるが、

ここでは大きく「収穫物」「収益」という風に考えてもらいたい。

それから「ツチ」。これはやはり「土」と同じ音だが、

単なるツチクレという意味の「ツチ」ではなく、

「カミ」と「ヒト」との間の契約の証を母胎というふうに考えてもらいたい。

大地としての意味も社会や場の意味も含むものと考えて良い。

そして「ヒト」だが、これは「人間」という意味の、間に科学絶対主義の入り込んだ存在という意味ではなく、大自然としての「カミ」と対峙する存在としての「ヒト」という意味がある。

自然の営みの中の一部としての自然な存在が「ヒト」である。

この「カミ・コメ・ツチ・ヒト」は、一人一人の人間の生活の中に当てはめて考えることが必要だ、

それと同時に本来の「カミ・コメ・ツチ・ヒト」を考えることが一番望ましい姿勢だと言える。

つまりあなたの「カミ」とは何か?

あなたの生活の中の大自然と関係は何か?それが現在のあなたの中の「カミ」を表す。

「コメ」とは何か?あなたの生活の中の収益とは何か?

「ツチ」は?あなたの生活の基盤や生活の場、職場、これらがあなたの「ツチ」だ。

そしてあなたの「ヒト」は何か?

あなたの生きている毎日の中で「ヒト」と対峙する自然な存在である自分、

それがあなたの中の「ヒト」なのだ。

こういう風に、自分の生活の中で「カミ・コメ・ツチ・ヒト」を考える、

そして同時にもう少し大きな視野で、

例えば日本という国の「カミ・コメ・ツチ・ヒト」を考える、

という風に次第に大きな視点での「カミ・コメ・ツチ・ヒト」を見つめる。

この二つの視点で「カミ・コメ・ツチ・ヒト」を考えるということが、

必ずあなたに今まで気付かなかった視野をもたらすだろう。

自分のことを識る努力は、即ち自分を見る=世界を見る という行為に繋がる行為だ。

これらのことを実行しようと思うあなたに、宗教もセミナーも必要は無いだろう。

「カミ・コメ・ツチ・ヒト」 アーリオーン 北川恵子 扶桑社 1992年 より転載

まつり = 祀り = 奉り = 祭り そして、政り

共に耕し、共に植え、共に育み、共に刈り、共に喜び、共に生きる それが群(むら)=村 

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