カラダ力、ココロ力、ニンゲン力

2010-03-20

もうすぐ桜がほころぶ。

でも今年の春の門は、激動だ。今日も嵐のような夜。

寒さに耐えて訪れる春は、花咲き、草萌え、希望の季節・・なのだが、1年で一番自殺率の高いのが3月、そして9月。

それに順ずるように、今月初め知人が自らの命を絶った。しかし、その理由が何も見当たらずに困惑するばかり。かえってそれが心苦しい。

アーユルヴェーダもヨーガもプロフェッショナルだった方・・。どうしてなんだろう。

先日トリートメントを終えて、クライアントが一言。「カラダって侮れないですね。今まで何年も悩んでいたのはなんだったんだろう・・」 心理カウンセリングやいろいろなヒーリングメソッドがあるけれど、こんなにスポーツ感覚を出せるトリートメントはアーユルヴェーダだけだと思う。

ちょうど、2キロくらいジョギングした後みたいな、爽快感とちょっと脱力感、まったりとした適度な疲労感。思考はほとんど停止する。「後はうちかえって寝るだけ!」のような、ほどよいけだるさが「考えすぎ、思いすぎ、こだわりすぎ」のような方には思考変換を促すのにぴったりなのだ。

しかし、多忙を極めるセラピストは自分をケアする時間がほとんどない。一生懸命頑張りすぎればすぎるほど、消耗してしまう。

心理カウンセラーは、消耗して冷静さがなくならないように誰かに話を聞いてもらうスーパーバイジングが適用されているが、セラピストにはそういう習慣はまだ確立されていない。

正直、私もあちこち行きたいところだが、面が割れているだけに同業のところへは行きづらい。

なので、按摩系に行くのだが、やっぱりオイルマッサージの良さを知っているので、満足度は半分なのである。アロマも、大体がホホバオイルを使うため、かえって痒くなったりするので行けない。しかし、直感力を使って「よさげ」なところを見つけると、ためらわず入ったりする。

これには理由がある。 多くのセラピストたちは、「私が一番うまいのよ」 と思っているかもしれないが、自分を人にしっかりゆだねる、ということが出来ない人は、トリートメントにも「力み」が入りされている側も疲れることが多々ある。

だから、自分が疲れているなと思ったら、誰かにしっかりケアしてもらう習慣が、スーパーバイジングの代わりになると感じている。それに何より学びにもなる。

本当は、50代にもなったらトリートメントを毎月受けて、若返るぞ ! なんて思っていたが、まだまだやる側から離れられそうもない。というのは、気付きがどんどん深まり、内容も深くなっていくからだ。これをキャリアと呼ぶのかもしれないが、熟練というかなんというか、ああこれは自分にしか出来ないな、という感覚を使うものが多くなるからだ。

だからこそ、体力と共に健康や精神力のようなものを維持する努力が必要となってくる。

太極拳を始めたのもそのためでもあるけれど、体を動かしてカラダの潜在的な力を知ることの楽しさを識っているからかもしれない。これはまさに瞑想と同じ、と感じている。

年齢を重ねていかなければ見えてこないものがたくさんある、ということを徐々に知り始めてから、人生というのは実に良く出来ていると感じさせてもらっている。でも、50歳すぎたら若返りとか美に執着というのではなく、いかに死ぬかということを考え始める時期と切実に思う。

体がまだしっかり動くうちに、できるだけ余分なものを処分して身軽にしていく方向へむかったほうがいい。自分が最終的に一番生きがいにしたいものに集中していくプロセスな時期。

もう小難しい記憶力を有する勉強など頭に入らないから、体をこまめに動かして「忘れ去らない」ように習慣になっているようなものでないと、何も続かなくなるだろう。

いろいろな旅立ちを見送り、人生最終章のあり方をとても思う。

少なくとも、私にとってのアーユルヴェーダは、イノチを基盤にしたカラダ力、ココロ力、ニンゲン力を培うものでありたいと願い、クライアントにもそう伝えていきたいと強く思う。

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