神の見せ方

2010-02-20

バンクーバーで行われている冬季オリンピックを見ていて、今回ほど「アジア」のメダリストが多い状況はなかったように思う。

昨年の北京オリンピックもそうだが、一般的にいえば「経済上昇」が選手を輩出する機会が多いということだろうか・・。でも私は東京オリンピックをしっているが、まだそれほど豊かにはなっていなかった時代だったけれど、日本のメダリストは多かった。きっとこれは、戦後の何もなくなった状況から必死で這い上がる「精神力」の勝利だったのかもしれない。

でも今は、まさに「経済力」と感じる。

では日本は・・? 高橋大輔君の銅メダルは、ものすごい価値を持って魅せてくれた。

無難に完璧さを目指して得たアメリカの金メダル、力と技術力で追従を許さなかったロシアの銀メダル、そして挑戦した結果失敗したが見事立ち直り心意気で得た日本の銅メダル・・。

まるで、今の世界の縮図のようだ。

今龍馬伝も面白くその時代背景を含めて見ているが、龍馬が剣術ではとてもクロフネには勝てないと思い、何で剣術をやっているのか悩んでいたシーンがあった。師匠は怒り、勘当する。

剣を単に戦いの道具と捉えていた勘違いを諌めていたのだった。

オリンピックの影でなりを潜めてしまった感のある朝青龍・・。

かつて、ニギハヤヒが日本の天皇になるために授けられた「十種の神宝」には、スサノオがヤマタノオロチを破って切り刻んだところ尻尾から出てきたといわれる草薙の剣が含まれている。 

この剣は、力を誇る象徴ではなくて、いざというときに脅かす存在を諌めるための剣であり、その証拠になるためのものだろう。この場合の力は神通力としての「フォース」。

でも、体の力の強い人に剣をもたせれば、たちまち武器になってしまう。この場合の力は「パワー」。

西洋の神話にも、選ばれし人が携える剣がでてくるが、力任せに振り回す人が携えれば凶器になってしまうことを揶揄している。

パワーは見せることができるが、フォースは見せてはいけない。だから人は、気付かないしパワーに圧倒されてしまう。そして、パワーがあるものが「エライ、スゴイ」と勘違いする。

お金もパワーの一つだよね。

高橋大輔君は、お金のかかるフィギュアスケートの家族への負担を考えて、一時断念しようとしたことがあるそうだが、ちゃんとサポートする人がいて、その人への「恩義」を携えて今回の試合に臨んでいた。 これこそが、神仕組み。滑っているとき、フォースを感じた。

そうやって見ると、いろいろなところに気付くところがあるだろう。政治、経済、社会・・。

今「不毛地帯」をはじめ、「沈まぬ太陽」など山崎豊子の作品が再注目されているが、あまりにタイムリーに「トヨタ」の問題がおきている。今見せられれば、えげつないほどの駆け引きで取引される企業戦争の時代だった。

あの時代バリバリ外資系エリートだった方が言っていた。「アメリカで日本が一番になっては決していけない。必ず報復される・・」 そして、あまりに性能がよく使いやすい日本の電化製品が売れに売れて、80年代にジャパンバッシングが起こった。今はその再来・・。

80年代のそれは、見事に回復することができたが、今回はそうもいかないようだ。もう日本が技術でNO.1の時代ではないからだ。

それならば、何を私たちは磨けばいいのだろう・・。大輔君のスケーティングに気付いた人は、もう心に希望の光がともっている。 

そして、アジアの選手がスポーツでも強くなってきたということは、筋肉や骨格でつけた力の時代の終わり、ということでもあるかもね。

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