血のオコリ

2009-02-15

昨日はバレンタインデイ。お客様からそれにふさわしいストーリーを聞かせていただき、「この国にまだそんなにアツイ人がいるんだ!」と感動をもらった。

利益のために流されず、人の命と自分の使命を大切にできる人。たとえ自分や家族が窮地に陥っても、「それだけは絶対にできねえ!」と腹をくくり、それを必死で支えた家族。いまとなっては伝説のような物語が、ごくごく身近にあった喜びと出会い。静かに、しみじみとそれを味わう。

先週の出来事から得た思いを、少しずつあちこちに表現しているが、公的な人々からはするりと交わされ逃げられたりしていた。その歯がゆさの中から、不思議なことに昔を思い出した。そうだった。私は昔ジャーナリストを目指していたんだ。深夜放送族だったことから、マスコミを目指したけれど、放送学部のある大学へすすむには膨大な費用が必要で私は断念した。初めての挫折。

多分その思いは、昔祖父が共同通信社に勤めていて、戦後の動乱期に戦犯と呼ばれる人たちの妻たちに、自活できるよう農業や養鶏などの技術を教え、生き延びることを助けたと父や叔母たちからよく聞かされたことにも端を発していたと思う。その祖父の血を一番強く受け継いだのが私なのだろう。幼い頃から「男だったらよかったのに」と何度も嘆かれ、医者か学者にしてほしいと両親に伝えた期待を反発から見事裏切って、全然違う道を歩いていったのに、方向は同じところに向かっていた。

不思議な縁に導かれ、アーユルヴェーダにたどり着いて恩師幡井先生と出会うが、幡井先生がミャンマーで軍医をしていたとき、祖父の長男(父の兄)は衛生班としてミャンマーで戦死していたという偶然に、祖父の意思を感じた。出来のよい長男に、祖父は「医師を目指せ」と奨励していたという。

その思いが私をこの道にたどり着かせたのか、自分の魂が感じ取ったのか定かではないが、自分を精一杯発揮できることのこの仕事を本当に天職と感じている。と同時に、もうひとつの方向「真理の探求」が別の視点ではたらいている。

祖父の代の明治時代は、歴史上稀に見る混沌とした時代であり、その後に起きる大きな二つの戦争や戦後の動乱など、戦後に生まれた世代では想像もできないほど過酷な日常だっただろう。そこを生き延びてきた人たちは、単なる「キレイゴト」ではすまされないイノチの選択を余技なくされたことと想う。

祖父は30年以上前に亡くなったが、少し大人になってから聞いてみたいこと、話したいことが山のようにでてきて、話を聞けなかったことが悔やまれる。老年時代は、若い頃の行動とは意を反して牙を抜かれた虎のような環境だった。大人になってからその事情を聞かされ納得したが、悔しさや無念の思いを汲み取れる今、その分血のオコリとして自分の中に生かしていこう。

祖父が生きた唯一の証として、日比谷公園にある平和の鐘に祖父の筆跡が刻まれている。それを眺めるとき、自分の中に流れる血を大切に、祖父の思いとともに真の行動をしていきたいと強く思う。

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