師走の便り

2008-12-06

毎年この季節になると、年賀状辞退の喪中葉書が届く。年齢を重ねると増えるのは、父母や祖父母の逝去が多くなるからだ。

今年はその中に一枚、「あっ!」というものが在った。以前生徒だった方の家族からだった。ご本人が、10月に亡くなっていた。44歳の若さで。

10年以上前から知っている人だったが、数回カウンセリングとトリートメントも担当した。いつも何かに「憂う」ことをしていた。主に家族のことだったが、「八方塞」と自身は言うけれど、それを突破するか否かは自分自身にかかっている。多少のリスクはあったとしても、それだからこそ「必死」になったり現状突破のエネルギーが沸いてきたりする。でもリスクを回避して、時を待てばなんとかなるというようにはこの世は作られていない。ついには耐え切れず、自分自身が壊れる方向へ行ってしまうことはよく見られること。だからこそ、アーユルヴェーダで「イノチ」「人生」のあり方を説いてきたのだけれど、タイミングも大切だった。

彼女を偲ぶと、苦痛に満ちた人生では在ったけれど、ようやく開放されたという安堵感のようなものが伝わってきた。ただ、残した子供のことなどで後ろ髪を引かれてはいるけれど、もう戻りたくないという確固たる意志のようなものも感じる。

それでいい。もう進みなさい、と静かに告げる。生きて行くにおいて、誰とも関わらない人生などない。人それぞれいろいろな環境があり、相応の悩みもあるけれど、それをいかに打破していくかが実は輪廻の仕組みなんだと思う。苦悩を、我慢したり無視したり、あるいはそれにどっぷりつかってしまうと、乗り越える知恵はわいてこない。実はここに、個人進化の鍵があるのだけれど、悩んでいても何も解決しないことを知らない人は実に多く、いつでも「悶々」としている。考えるのと、悩むのでは天と地どころの差ではない。そのうちに、あちこち体の不調がおこり、行動が起こせなくなるパターンが多いのだ。

40代は、20代・30代のツケが現れる。50代は40代のツケ。その都度、その都度のポイントで、自分の体力や能力を考えた上で行動や生活をリセットしないと、マイナスに転じている体やエネルギーは枯渇してしまうのだ。若い頃以上にしゃかりきに、としている人は、天国?への階段が近づいていると考えると良いだろう。でもこれも、「生活のため」や「家族のため」でなく、「自分のため」でないと昇れない。どんどんシンプルになっていかないと、贅肉だの欲望だので重さが増していく。思いは重くなり、執着・固執というように粘着質になっていく。これもメンタルアーマとして、すがすがしさに通じる心の通路をふさいでいく。そうすると、ドロドロしてしまうのだ、ナニモカモ。

44歳は明らかに早い。でもその人は、もっと年長に見えた。1年を2倍にして生きてきたのだろう。

決心して旅立ったことを祈るばかりである。

 

この記事へのコメント
この記事へのコメントをご記入ください。
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

(ブログ管理者が承認したコメントのみ表示されます)
この記事へのトラックバックURL
http://www.blogdehp.net/tb/13361337
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
(当記事へのリンクを含まないトラックバックは受信されません。)